「久保 司 牧師」カテゴリーアーカイブ

希望は失望に終わらない3

21歳の頃、私は群馬県勢多郡宮城村(現・前橋市柏倉町)に住んでいました。当時、地元新聞に星野富弘さんの記事が出ていました。内容はよく覚えていないのですが、その時、この人に会ってみたいと思い、入院先の群馬大学病院に伺いました。まだ彼がクリスチャンになる前で(翌年洗礼を受ける)、口に筆をくわえて詩や絵を描き始めたばかりの頃でした。その時は微熱が続いていたようで具合もよくありませんでしたのでお顔を拝見し短くお祈りをさせていただき失礼しました。

皆さんもよくご存じのとおり、星野さんは群馬大学を卒業後、高崎市の倉賀野中学校で体育教師となりました。教師になって二ヶ月後の晴れ渡った日の午後、クラブ活動の模範演技で前方宙返りをした時、頭から床に激突、頸椎を損傷してしまいました。生死の境をさまよい、状態が安定してからも首から下が全く動かすことができなくなっていました。四肢完全麻痺、胸骨上縁以下の知覚障害の身となったのでした。

・母の愛

病床にある星野さんに寄り添い看病し励まし続けたのが彼のお母さんでした。彼女は、時にイライラをぶつけ八つ当たりする彼を受け止め続けました。その愛に触れたとき彼の心はふるえたのでした。こう語っています「私が、時には腹を立てて怒ったり、口をきかなくなったりするときも、ズーッと変わらないで看病し続けてくれるんですね。そういう姿を見ていて、これは『俺の母ちゃん』『たった一人の母 ちゃんだ』と。そういう気持を持ちました。」
「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が本当に来るような気がした」(「ぺんぺん草」より)

・神様との出会い

星野さんがクリスチャンになったのは、大学時代の先輩から貸りた三浦綾子氏の「塩狩峠」を読んで感動したことがきっかけでした。自分の身を犠牲にして人を救うという内容に凄く惹かれ、キリスト教に興味を持ったそうです。その後、牧師の訪問を受け聖書を勧められ開いてくれた場所を読んだとき多くの気づきが与えられたと言うことです(冒頭の聖句)。そして病室で洗礼を受けたのでした。

・詩と絵を通して

星野さんが最初に書けたのは、たった一つの点だけでした。そして、字を練習しました。やがてお見舞いの花を描きはじめたのですが安らぎは得られませんでした。しかし、クリスチャンになって全てのものを創られた神の存在を信じてから気持ちが変わったのです。

その後、星野さんはこう思いました。「『すべてのものは神様が作ってくれた』というふうに思ってきたら、『色も形も調和を持っているんじゃないかなあ』と思ったんですね。そういうふうに考えて花を見たらほんとにそうなんですね。ちょうど花の形といい、ちょうど良い茎にあった大きさで、そういうものを素直に写していれば、いい絵が描けるんじゃないかなあと思って、『じゃ、今度は〝花を先生だ〟と思って、絵を描いてみよう』と思って絵を描き始めました。」

今日、世界中の多くの人々が星野富弘さんの詩と絵、そして生き方を通し励ましと希望を与えられています。

神様を信じ、希望を与えられた人はやっぱり「スーパーマン」なんですね。

希望は失望に終わらない2

22歳の春のことでした。当時、鹿児島市に「福音盲人センター」がありました(現在は横浜市上川井町)。スタッフはボランティア2名を含む5名で全国に向けて点字訳の教会の刊行物、聖書のテキスト、通信講座と録音テープを制作、発送しながら、薩摩半島先端にある指宿市での開拓伝道をしていました。

所長の山口睦夫さんは、壮絶な人生を歩まれましたが、情熱と使命を持って視覚障がい者の自立支援と伝道に一生を献げた人でした。終戦後、工場経営、結婚、出産と順調な人生を歩んでいました。しかし、目を患い失明してしまいました。絶望感の中、全ての財産を妻の名義にし、妻子と別れ、病院のベッドの上で自らの命を絶つことにしたのです。しかしそれは未遂に終わり、意識を戻したときに深い失望に襲われてしまいました。

そんな時、当時SDA鹿児島教会の荒木アイ先生(婦人牧師)が彼を訪問したのです。彼女もまた視覚障がい者でした。山口さんは、この人はなぜこんなに明るく生き生きとしているのだろうと不思議に思い、それが彼女の信仰によるものだと気づきます。そこで荒木先生との聖書の学びが始まりました。

山口さん自身も聖書を学びながら、神は全てを奪われたのではなく、神と出会い、人々に幸いを届ける事ができるように自分に失明という試練を与えられたのだと悟ったのです。その後、必死に点字を覚え、聖書の言葉を同じ試練にある人々に届ける働きを始めました。そんな彼を神は更に試みられます。

ある時、右足に激しい痛みを感じ病院に行きました。病名は骨肉腫!医師からは仕事を辞めて治療に専念することを進められましたが、彼は絶対に仕事を辞めることはできないと拒みます。そこで医師は仕事を辞めるか、今すぐ足を切断するかと迫りました。山口さんは一切の迷い無く即座に「足を切ってくれ」と答えました。膝下15cmを残して右足切断、治療中もベッドの上で仕事を続けました。その後再婚(奥様は脊髄カリエス)、二人のお子さんをもうけ、生涯を視覚障がい者伝道のために献げました。

指宿市で視覚障がい者の集いがありました。私は、ある姉妹(お二人)に自立するために治療師の資格を取ることを勧めましたが、面倒くさがりの二人は全く聞く耳を持ちません。それでも勧めていますと、「あなたは目が見えるからいいでしょうが、私たちは見えないんだ!私たちの気持ちをあなたは解るはずない!」と言われてしまいました。そんな時、近くで別の人と話をしていた山口さんが来て、「この人はね、あんた達のことを理解したいと思ってるんだ。力になりたいと思ってる。」と一喝。そして彼は優しく彼女たちと話し始めました。素直に耳を傾ける彼女たち・・・

その時学んだのは「他の人の気持ちは100%理解することはできない。しかし、解りたいと願うこと、気持ちを察すること、理解できるよう多くのことを聞くことが必要である」ということ、そして希望を与えられた障がい者はやっぱリスーパーマンだと感じました。

(次回に続く)

希望は失望に終わらない1

日本勢によるメグルラッシュに沸いたリオデジャネイロオリンピック。オリンピック選手の強靭な肉体と精神による闘いは、多くの感動を世界中に届けました。その16日間にわたる熱戦が繰り広げられている間、多くの日本人は寝不足の日々を過ごしたのではないでしょうか。このオリンピックに引き続き、9月7日から18日までの11日間、リオではパラリンピックが開催されます。私たちはここで更に大きな感動を経験するでしょう。ハンディキャップを持ったパラリンピアンたちが、精神と肉体の限界を超えて競技に臨む姿は感動以上の奇跡的な驚きを与えます。

パラリンピックの起こりは、第二次世界大戦後、英国首相のチャーチルが脊髄を負傷した兵士のために始めたリハビリプログラムだと言われています。その指導に当たったルートヴィヒ・グットマン博士の「失われたものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」という言葉が、戦争で傷ついた人々の心と身体を支えるだけでなく、世界中のパラリンピアンの心に火を点けました。

パラリンピック出場の陸上選手、100m11.83秒は、片下膝義足(腿下を残して義足)によって出された佐藤圭太選手のタイムです。更に100m12.61秒は、片大腿義足(太腿からの義足)の山本篤選手のタイムです。女子では高桑早生選手(片下膝義足)が13.49秒のタイムを出しています。成人男性が14~15秒台、女性が15~16秒台を平均としている事から見ますと、驚異的な記録だと思いませんか!パラリンピック出場のその他の競技に参加するハンディキャップを持つ選手たち、彼らはまさにスーパーマン。その人生にはきっと様々なドラマがあると思います。

しかし、スーパーマンは彼ら限られたアスリートだけではありません。実はハンディキャップの現実を受け入れ、自立し、更に多くの人々に夢と希望を与えている人々が私たちのまわりにおられます。

今回より数回にわたって、神様から希望を与えていただいた「スーパーマン」たちを紹介させていただきます。

1968年スウェーデンのハーボ村に、両腕と左足に原因不明の障害を持って生まれた女の子がいました。3歳になって水泳教室に通い、5歳の時から教会の聖歌隊に参加しました。18歳、19歳の両年、世界障がい者水泳大会で金メダルを獲得。同時期ゴスペルシンガーとして活動を開始します。20歳の時、ソウルパラリンピック水泳で入賞。23歳でストックホルム音楽大学を卒業。全世界でゴスペルシンガーとして愛と希望を歌い続けるレーナ・マリア・ヨハンソンさんです。

彼女の著書「MyLife」に「好きなこと、やりたいこと、体験したいことがたくさんあります。そのどれもが可能性に満ちているように思えて。」「私が生きるのに必要な力や喜びは、すべて神様が与えて下さることがわかったので、

のです」と記しています。

水泳も(一番得意なのはパタフライ)、バレーボールも頭を使って)、料理も、食事も、買い物も、編み物も、メイクも、運転も(コンサート・ツアーのための年間走行距離4万キロ)、パソコンも(ゲームが好き)、カメラも(口でシャッターを押す)、絵も、そして歌も、そのすべてを、彼女は自分の力で、実に楽しそうにやっています。

と、聖書ははっきりと約束しています。

心の平和は愛によって生まれる

山崎豊子著「『沈まぬ太陽』会長室編」で、主人公が子会社の不正追及のためのニューヨーク出張の最後に「ブロンクス動物園」を訪れます。そして、類人猿舎の中にある有名な「鏡の間」というところで、”THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD”という文字とともに、鏡に映った自分の姿に接し、権謀術数に満ちた人間世界が浮かんでくるという場面があります。

ここは、野生生物保護協会(WCS)が運営する265エーカー(約1,070?)の広大な動物園で、約4000匹の動物たちを観ることができます。類人猿舎「鏡の間」の「THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD」(世界で最も危険な動物)という看板を掲げた檻があり、その檻の中には一枚の大きな鏡が置いてあって、その鏡には覗いた人の姿が映ります。鏡の下には「この動物は、24時間ごとに19万頭の割合で増えている。しかも他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物。今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れた」1963年に当時の園長のW.コンウィン博士によって設置され、この警告文も博士の言葉とのこと。つまり人間が世界で最も怖い存在であるということなんです。

確かに、最近の世の中は、人間にこんな恐ろしいことが出来るのだろうかと思うようなことが次々と起こっていますし、歴史を振り返ると、国の内外を問わず、戦争の歴史は人によってその悲劇が繰り返され、平和を求めてもなかなか実現できない状態です。

さて、平和を妨げる最大の原因は、人間一人一人の心の中にあり、「自我」「孤独」「死への恐怖」少なくともこの三つの問題が克服されなければ心の平和、平安を得ることは困難だと言われています。

「自我」を克服するには、見返りを求める事を無くさなければなりませんが、それには無我の愛、寛容の愛、赦しの愛を価値ある事と認める必要があります。唯一それらの愛を実証したイエス・キリストの十字架の意味を知り、キリストを心から受け入れる事によって、神の愛が心に注がれ、より高い価値観となります。

「孤独」を克服するためには、私たちが愛されている事を実感する事です。これもまた十字架を通して示されます。神様に対する信仰によって、心に満タン神の愛が溢れる時、自分を愛するように隣人を愛する事ができ、お互いの関わりの中で幸いを得る事ができます。

「死への恐怖」について、私たちは復活と永遠の命、神様の統治による完全なる平和な世界が約束されています。これもまた、十字架による贖いによって実現します。キリストの命によって贖われたことにより、死はもはや絶望ではなく一時的な眠りとされたのです。

平和の源である神様の下に集い、愛と恵みに満たされ、与えられた恵みを隣人に届けることのできる者として歩んでゆけたら幸いです。

人生を導く光

ある夏休み、キャンプに行きました。美しい夕焼けの後に夜のとばりが降りて辺りは暗くなりました。山間部のキャンプ場でしたので、外灯もなければ、町の灯りも届きません。木々の茂る林を通り抜けようと思いました。月明かりもこの林の中には届きません。まさに漆黒の闇に包まれました。手にした懐中電灯のスイッチを入れて足下を照らしました。明かりがないととても危なくて歩くことができません。自分の勘に頼ることもできるかも知れませんが、これほど頼りないものもありません。躓いて怪我をしてしまったり、危険な場所に迷い込んだり、道に迷ったりするのが関の山です。

私たちは、この先の人生について、知識や経験によってある程度予想を立てることはできるかも知れませんが、それは確実ではありません。私たちは、明日のことすらわからないのです。しかも暗闇の向こうでは誘惑者(サタン)が私たちを息を潜めじっとねらっています。

そんな私たちの人生の旅路の「光」となり「灯」になって足下を照らし、行く先を照らし、敵を発見し、道を見つけることができるように、神様が与えて下さったのが「聖書」です。ここには私たちが人として正しく、幸福に生きてゆくための神様からの知恵がふんだんに盛り込まれています。

そこには私たちのために十字架で犠牲となり贖いの供え物となってくださったイエス・キリストの事が証しされています。そして、イエス・キリストの模範に従うことを促し、人間が人間としての真の生き方ヘ私たちを導いてゆきます。まさに一生をかけて学ぶ価値のある本です。

アメリカで「歴史上最も尊敬できる人物」についての世論調査が行われたとき、第一位はイエス・キリスト(もちろん)、第二位はリンカーン大統領だったそうです。

リンカーンの生涯は聖書の言葉に生かされ導かれたものでした。彼は聖書についてこう述べています。「この偉大な書物は…神が人間にお与えになった最高の贈り物です。救い主がこの世の人々に与えられたすべての良いことがその書物に書かれています。聖書がなかったなら,私ちは善悪の区別が分からなかったでしょう。」と。

第26代大統領のルーズベルトは、「リンカーン大統領は、聖書で作られた人だ。彼は聖書の中から学んだ真理を実生活に適用し、自分の一生をこの上なく栄光ある人生にした。彼は聖書とともに呼吸し、聖書とともに生きた偉大な神の人である。」と言いました。

あなたもこの素晴らしい神の「御言葉」に改めて心を向けてみませんか。

ストレス

ストレス過多の現代社会に生きる私たちは、常に心身の健康状態を保つ必要を感じます。

私事ですが、今から25年前、仕事から来るストレスで体調を崩したことがあります。微熱が続き、咳が止まらず、体もだるくて昼食後、ベッドで少し横になるつもりが気がつくと夕方になっていたり、常に強い疲労感を感じていました。そんな状態が数ヶ月続きましたので、病院で精密検査を受けたり、結核を疑い肺の内視鏡検査までしたのですが、特に異常は見られませんでした。その結果、診断書には「慢性疲労症候群」と聞き慣れない病名が記されていました。

私たちはストレスを全く受けないという事は考えられませんが、ストレスをどのように解消し、うまくつき合っていくかを知る事は大切だと思います。一般的なストレス解消法を、あれこれ考えるよりも、もっと素晴らしい方法を神様は私たちに示しておられます。

イエス・キリストのストレス管理法

イエス様も多くのストレスを受けていました。それは私たちよりはるかに大きかったと思われます。どのようにイエス様は、そのストレスを上手く管理されていたのでしょう。

  1. 密室の祈り:何事からも干渉されない時間と場所を、イエス様は常に確保していました(マルコ6:31)。神と一対一で憩うことのできる祈りの場所は、私たちにとっても大切です。
  2. 自然の中に身を置く:神様が私たちのために造って下さった第二の聖書といわれる「自然」の中に身を委ね、自然の中に記されている神様の愛に触れることは、真に心を安らげます。
  3. 友との交わり:イエス様は心を寄せて、楽しく過ごすことのできる友がありました(ベタニヤのラザロ、マルタ、マリアの兄弟姉妹)。遠慮なくつき合うことのできる友は、大きな力であり支えです(マタイ21:17)。
  4. 教会:教会は地上の小さな天国を目指す場所であると思います。そこに神様の臨在、礼拝と讃美、信仰の友との善き交わりを求めます。イエス様は、しばしば神殿に赴き、ゆっくりと時を過ごされました(マルコ11:11)。

互いに苦しみを和らげる

イエス様は、サタンによって苦しめられている全ての人々のために、自分を捨てて奉仕し、その苦しみから救い出して下さいました(使徒10:38)。真のストレス解消法は、無我の精神による奉仕の喜びを得る事です。これは他者の必要を満たし、ストレスを和らげるだけでなく、自分自身のストレスも和らげます(フィリピ2:4)。

我が我がという気持ちを捨て、他者の必要を顧み、それにどのようにして応えられるかを考える。愛を、しかもできるだけ高く純粋な愛を目指す。実は、私たちの心が内側に向いている時、ストレスはたまっていくばかりではないかと思います。神様に心を向けた時から恵みは始まり、神様に委ねられた時に救いの確信を得ることができます(ガラテヤ6:2)。この救いこそが、究極のストレス解消なのかもしれませんね。

小さな親切、大きな恵み

皆さんはGWをどうお過ごしになられたでしょうか? 私はこの機会に引越しで山積みされてまだ手つかずのダンボールの山を片付けていました。その合間、帰省していた娘を千葉まで車で送って行ったのですが、アクアラインはアウトレットモールと潮干狩りに向かう人々で大渋滞でした。そんな中、ふと熊本地震で多くの人々が悲しみ、悩み、苦しみの最中にあることを考えていました。この大きなギャップの中でどれだけの人々が熊本に心を向けているのだろうか? 私たちはいったいどんなことができるのだろうかと・・・

聖書に紹介されている有名な5,000人の給食の奇跡が起こるために、一人の少年の思いが、イエス・キリストの心を動かしました。弟子たちは目の前にいる大勢の人々に対してなすすべもありませんでした。そんな時、何か役に立つことは出来ないだろうかと、少年は自分の持つ全ての食物を差し出そうとします。もちろんわずかな食物はそこにいる大勢の人々には何の役にも立たないようなものだったかもしれません。しかし、イエス様はそんな少年の気持ちをくみ取って下さり、いく倍どころか凄まじいほどの奇跡を起こして下さいました。男性だけで5,000人ですから女性や子どもたちを合わせるとそこにはその数倍の人々がお腹をすかせていたわけです。そこにいる全ての人々のお腹を満たし、残ったパンくずは12のかごに集められました(ヨハネによる福音書6:1~14より)
私たちはとかく目の前の出来事に自分の力や知恵を用いることをまず考えてしまいます。これは決して悪いことではありませんが忘れてはならないことがあります。それはこの世の全ては神が守り導いて下さっているということです。

イエス様の弟子たちはイエス様が側におられるにもかかわらず、自分たちの知恵や力でどうにかしなければと考えました。イエス様に頼ることをしなかったのです。少年の当たり前のような行動は、彼らにとって実物教訓となりました。イエス様は、弟子たちが役に立つはず無いと、小さな奉仕の気持ちを退けたことに対して、その小さな心からの奉仕の気持ちを受け入れ、それが神の祝福を表すのだということを大勢の目の前で示されました。そして一人の少年の小さな奉仕の優しい心遣いに対して、多くの人々の必要を有り余るほどに満たす奇跡をイエス様がなしてくださいました。

あなたはこの世にあって小さな存在かもしれない。しかし神はその小さな存在の、心からの小さな気持ちを必要として下さっています。そこに感謝があふれてきますね。

初心忘るべからず

この度の転勤で、6回目の引越しとなりました。東京中央教会でのインターンを皮切りに南は沖縄、北は岩手と暮らしておりますと、様々な経験をいたします。そんな中で一つの出来事をお証ししましょう。

沖縄で5年間の働きを終える一ヶ月前のことでした。私はとっても素晴らしい贈り物をいただいたのです。

教会に屋比久マカさんという、当時94歳のご婦人がおられました。沖縄は全国でも屈指の長寿県で大変お元気な方が多い場所です。マカさんもその例に漏れず大変お元気で、高齢にもかかわらず、毎朝背筋を伸ばして笑顔いっぱいで散歩されるのが日課でした。すれ違う人たちが「おバア、今日も元気だね~」と声をかけますと、彼女はいつも「神様信じてるからね~、こんなに元気なんだよ」と答えていました。

久保牧師

そんなマカさんが、安息日礼拝をお休みされました。お宅に訪問しましたら、腰を痛めて臥せっていたのです。訳を尋ねると、お天気が良かったので畑の草取りをいつもの2倍したそうで、それで腰を痛めてしまったようでした。元気のない彼女は「先生、私は腰を痛めたから元気がないんじゃないよ。杖をつかないと散歩が出来ない。神様のことを証しできなくなってしまい、それが恥ずかしい。」そう言って塞ぎこんでしまいました。
そんなマカさんのことが気がかりで、沖縄を離れる一週間前に再び訪ねてみました。私の顔を見るなり、待ちかねたように明るい声で「先生、私はね~、間違ってたよ。元気だってことを自慢してた事に気がついた。神様を証ししてるつもりで実は健康である事を誇っていた。だからたくさん悔い改めをしたよ。先生、私は一からクリスチャンをやり直す。杖をついてでもみんなに神さまの事を伝える。」94歳のおばあちゃんの再出発。まさに「初心忘るべからず!」

この時以来、私は新しい任地に赴く度にマカさんの言葉と笑顔を思い出します。私にとってこの贈り物は何ものにも代えがたい大切な宝物です。
小金井教会の皆さんと、牧師一年生の気持ちで働きをさせていただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。