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やっぱり「心」

四月より小金井キリスト教会に赴任いたしました島田隼人と申します。皆さまと良き交わりが持てますことを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

聖書には何度も「心」が大切だよ!という言葉が出てきます。
二つほど聖書からの言葉を紹介いたします。まずは、旧約聖書のサムエル記(上)16章7節
です。

とてもわかりやすい言葉です。
旧約聖書の時代、人々は王様にふさわしそうな人を探していました。しかし、神様は見た目ではなく、その人の「心」を見ておられるということをはっきりと言われたのです。
もう一つご紹介いたします。次も旧約聖書からの言葉です。

心を守りなさいよ!一番大切なのは、あなたの心だ。という、ストレートな言葉です。
身体は健康でも心が苦しかったら辛いですよね。そのうちに、身体にも影響が出てきます。
しかし、どんなに身体が苦しくとも、心が守られていて、平安ならば、人間は一歩一歩前進していけるのではないでしょうか。

今、皆さまの「心」はどのような状態でしょうか?
喜びと平安で満たされている人もいれば、悲しみや不安、心配事などで一杯もいるかと思います。自分の心が不安で満たされていると、色々な所で余裕がなくなり、家族や周りの人までにも影響を与えてしまうのです。

イエス・キリストは、私たちの心に平安を与えたいと熱望してくださっています。
不安で押しつぶされそうになっている人を見て憐れんでくださるのです。

私たちの心に平安を与えたいと熱望してくださる方がいます。心の中に神様の完全な愛と平安がある時、私たちの生き方は喜びと感謝の生き方へと変えられ、何があっても勇気を持って前進する力が与えられるのです。平安を与えると約束してくださっているイエス・キリストに出会ってみませんか?

心を清め支える水

精霊の神様は、聖書の中で、水や雨にもたとえられます。

水は私たちの生活に必要不可欠なものであり、もし、水がなかったら、私たち人間は生存していくことが出来ません。もちろん地球上のあらゆる生物や植物も同様です。

昔から、水は命の源と言われてきました。そのような水にたとえられるように、まさしく精霊は私たちの心に必要不可欠な存在です。

私たちの体はその60%が水分であるといわれています。体重60キログラムの人ならば水分は36キログラムが水だというわけです。その水分もいつも体内に留まっているわけではありません。排泄物として、約1100CC~1600CCが排泄されています。また、不感蒸泄といわれる、私たちの呼吸や皮膚からの自然蒸発や汗などによるもので、約900CC、合計で約2000CC~2500CCの水分が体から出てゆきます。

例えば、吸収される水分がなければ体重50キログラムの人なら15日~25日でミイラになってしまうわけです。

しかし、私たちの体はよく造られていて、水分が十分にとられていないときや不足しているときには、体が熱くなったり、のどが渇いたりして、水分を補給しようとします。

私たちは精霊という大切な水を、この心にいただかずにして、果たしてどれだけ生きてゆけるのでしょうか。確かに、この肉体には別に変化はないでしょう。しかし、心は確実に乾いてゆきます。さらに精霊を拒み続けるならば、魂の死が私たちを手招きするでしょう。

私たちの心を潤す精霊の神様を今日も喜んでお迎えしましょう。

神が私のそばに来られた

人となられた神

なぜイエスは人間にならなければならなかったのでしょう。

第1に「罪人である私たちのために代わって死ぬため」です。
命の源であり、決して死ぬことのない神は、神のままでは私たちの身代わりとなって罪を犯した結果の死を受けることはできません。ですから神はあえて、人となり、死ぬ者となられたのです。

第2に「人類の模範となるため」でした。
人間は罪を心に持ち、罪の傾向があるゆえに、サタンは人間が救いを得ることは絶対不可能であると主張します。しかし、神は私たちの中に可能性を認めてくださり、正しく生きることができる希望があることを示して下さいます。

イエスは、罪を犯すことのない人生を人間として送られることによって、人間が救われる価値がある者として下さいました。そして、私たちの模範となって下さったのです。もちろんそのために、私たちを助け、支え、力を貸してくださる事を神は約束して下さっています。

第3に「人類との絆を結ぶこと」でした。
神であるお方が、あえて人間となられることには、大きな犠牲が伴っています。それは一時的ではあれ、神としての立場を放棄しなければならなかったからです。

なぜそこまでして人類のためにそんな大きな犠牲を払われるのでしょうか?
それは、私たちに対する考えられないほどの深く大きな愛を持っておられるからです。
そんなイエス・キリストだからこそ神と人類の間に立ち、仲保の働きをすることが出来たのです。

仲保者キリスト

仲保とは仲違いをしている両者の間に入り仲裁をすることです。

イエス・キリストの仲保の働きは、神であり、人であるという立場により罪によって断絶されている神と人との架け橋になる事です。神様はこのことについて非常に関心を寄せておられ、積極的に仲裁を求めておいでです。なぜならば、神であるイエス・キリストご自身がこれ以上ない犠牲を払いつつも、人類の立場に立って必死で私たちを弁護し、赦し、救おうとされているからです。

問題は私たちの側にあります。神との断絶を招いたのは人間の側でした。そんな人間に神は信じられないほどの愛をもって、どうにかして救いたいと願っておいでになります。神から歩み寄り、私たちの中に入ってこられ、その関係の回復を全てお膳立てして下さり、ただただ私たちが神の救いの約束を真心から受け入れさえすれば良いほどに整えて待って下さっています。

さて、私たちはそんな神の気持ちにどれだけ応えることができるでしょうか。