「島田 隼人 牧師」カテゴリーアーカイブ

わかるよ

皆さんは「わかるよ」という言葉をつかったことはありますか?
酸っぱい梅干しを食べている人を見るだけで、自分の口の中もすっぱくなることありますね。そんな時、私たちは「ああ、わかる!」と言ったりもします。

では、苦しんでいる人に対して、試練の中を生きている人に対して、その気持ち「わかるよ」と言えるでしょうか。

牧師になるために、神学を学んでいた時、1人の先生の言葉が忘れられません。
その先生はこう言ったのです。
「牧師になると、様々な悩みを聞くことも増えると思います。しかし『わかるよ』とは決して軽々しく言ってはならないよ。なぜなら、わかるはずがないんだ!」今でも強烈に覚えています。
その先生も、おそらく多くの苦しみや試練を経験されたのだと思います。

私たちは生きていると、様々な苦しみや試練を経験します。
私たちが経験する苦しみ、悲しみ、または心の虚しさを完全に、または100%理解できる人はいません。

しかし、聖書には、あなたの苦しみを完全に、そして100%わかる方が1人いる!というのです。その方こそ、イエス・キリストです。新約聖書へブライ人への手紙2章18節には次のような言葉があります。

イエスさまは言えるのです。
「わかるよ、その苦しみ、その試練、辛いよね。わたしもその試練を通った。大丈夫だ、わたしが共にいる!」
私たちが経験する全ての試練を受けてくださった方だからこそ、私たちを助け、救い出すことができるのです。このイエスさまに出会い、「わかるよ」と言うメッセージを受け入れた時、私たちの心に平安が与えられるのではないでしょうか。全てをわかってくれる方がいるという喜びこそ、聖書の福音でもあるのです。

今日、苦しみの中、試練の中を生きている人たちが大勢いると思います。
誰にも理解してもらえずに、悩み苦しんでいる人もいると思います。
私たちに「わかるよ」と優しく声をかけ、慰め、力を与えてくださるイエス・キリストに出会ってみませんか。

与える生き方

このようなことを言われたらどのような気持ちになりますか?
「懐が深いね-」
「器が大きいね-」
「心が広いな-」

どうでしょうか。ほとんどの人は、ちょっと嬉しくなるのではないでしょうか?
では、逆に
「器が小さいな-」
「心が狭い!」
「ケチだなぁ」

は、どうでしょうか?
冗談ではなく、本気で言われたら少し傷つきますし、言い返したくもなりますね。

私たちの心に余裕がある時、また平安がある時、私たちの語る言葉、表情、そして行いにも余裕と平安があります。
しかし、心に余裕がない時、私たちの語る言葉、表情、そして行いにも余裕がなくなり、時に周りの人を傷つけてしまうこともあるかもしれません。

どうすれば、私たちは広い心、優しさのある平安な心を持つことができるのでしょうか。新約聖書使徒言行録20章35節の言葉を紹介いたします。

イエス・キリストの人生を学ぶ時、イエスさまの「心の広さ」を知ることができます。
しかも、いつも「心が広い」のです。ですので、心の広いイエスさまの周りには、癒しと平安を求める人たちがいつも集まっていたのです。

広い心を持つ秘訣。それは、イエス・キリストの言葉、「受けるよりは与える方が幸いである」という生き方にあるのだと思います。しかし、与えるためには、まず私たちが受ける必要があるのです。聖書には、与え主であるイエス・キリストとの交わりを通して、私たちの心は広く、そして潤されるというのです.

今日も私たちの周りにいる誰かに、どんな形でも良いので「与える生き方」を実践したいと思います。語る言葉、表情など、様々な方法で私たちは与える人生を歩むことができるのです。

ただ一つ

みなさんは、物を手放すことが得意でしょうか?それともなかなか手放せずに、いつまでもとっておくタイプでしょうか?

ここ数年、「断捨離」や「ミニマリスト」という言葉をよく聞きます。
人間が幸せに生きるためには、必要最低限なものだけで十分だという生き方です。
ふと気づくと、私たちの周りは物で溢れており、その物たちが問題やストレスの原因となることもあるのです。

私の家でも以前「断捨離」のブームが来ました。
どんどん捨てられて、最後には私まで捨てられそうになったと、いつも冗談で言っています。今まで自分の周りにあった物たちを手放すことは、ちょっと寂しい気持ちにもなります。しかし、全く使っていなかった物たちがなくなり、家がスッキリすると、なんだか心もスッキリしたことを覚えています。

私たちが幸せに生きるために、本当に必要なものとはなんでしょうか。
私たちの多くは幸せを求めて、あれも、これも、それも、と多くを手に入れようとします。そして、多くを手に入れることによって悩みも増えていくのです。

聖書の中に、多くのことに思い悩んでいたマルタという女性が出てきます。
そんな、思い悩み、イライラしているマルタにイエス・キリストは優しくこう言ったのです。

この「一つ」とは一体何でしょうか?聖書のメッセージはとてもシンプルです。
人間の心に平安を与えるのは、ただ一つを大切にするだけで良いというのです。
この一つを求めて、聖書を学んでみませんか?

今、色々なことに思い悩み、心を乱している方はいないでしょうか。
人には言えない悩みや葛藤の中で過ごしている方もいるのではないでしょうか。

必要なことはただ一つであると言われたイエス・キリストに出会ってみませんか。

やっぱり「心」

四月より小金井キリスト教会に赴任いたしました島田隼人と申します。皆さまと良き交わりが持てますことを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

聖書には何度も「心」が大切だよ!という言葉が出てきます。
二つほど聖書からの言葉を紹介いたします。まずは、旧約聖書のサムエル記(上)16章7節
です。

とてもわかりやすい言葉です。
旧約聖書の時代、人々は王様にふさわしそうな人を探していました。しかし、神様は見た目ではなく、その人の「心」を見ておられるということをはっきりと言われたのです。
もう一つご紹介いたします。次も旧約聖書からの言葉です。

心を守りなさいよ!一番大切なのは、あなたの心だ。という、ストレートな言葉です。
身体は健康でも心が苦しかったら辛いですよね。そのうちに、身体にも影響が出てきます。
しかし、どんなに身体が苦しくとも、心が守られていて、平安ならば、人間は一歩一歩前進していけるのではないでしょうか。

今、皆さまの「心」はどのような状態でしょうか?
喜びと平安で満たされている人もいれば、悲しみや不安、心配事などで一杯もいるかと思います。自分の心が不安で満たされていると、色々な所で余裕がなくなり、家族や周りの人までにも影響を与えてしまうのです。

イエス・キリストは、私たちの心に平安を与えたいと熱望してくださっています。
不安で押しつぶされそうになっている人を見て憐れんでくださるのです。

私たちの心に平安を与えたいと熱望してくださる方がいます。心の中に神様の完全な愛と平安がある時、私たちの生き方は喜びと感謝の生き方へと変えられ、何があっても勇気を持って前進する力が与えられるのです。平安を与えると約束してくださっているイエス・キリストに出会ってみませんか?